生きている証(ガンとの付き合い)
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自分の経過と体験を通しての思い伝えます。
ガンの告知を受けた方とその身内の方々の心配が
少しでも軽くなることを願うばかりです。
(目次)
■まずは体験からの心構えを
■治療経過(〜2002.4)
■治療経過3年目(2002.4〜) ■7.11 ■7.17 ■10.10 ■12.16 ■2.4
■治療経過4年目(2003.4〜) ■4.24 ■6.3 ■6.26 ■8.7 ■11.17 ■2.15
■治療経過5年目(2004.4〜) ■5.24 ■10.24 ■3.31更新(ここも押せます)
■まずは体験からの心構えを
●身内の心構え
死ぬかもしれないと覚悟しなさい。人はみんな何時か死ぬのだから。
本人の意志を尊重し、世間体等に縛られること無く自由に生きさせてあげてほしい。
しばらくの間は甘えや自分勝手な行動も多めに見てやってほしい。
もし本人が死の恐怖に怯えているのなら、よく話しあい恐怖を取り除いてあげよう。
手術前なら後遺症の小さい治療法を選択できるよう医師と話すと共に調べましょう。
●本人の心構え
漠然とした恐怖から自殺を考えることもあり、うつ状態になるような感じ。
死んだら痛みがなくなり、楽になれるのに。
生きたいと思う本能から恐怖を感じるようである。
つまり生きたいと心底思っている。
なので、
生き伸びたとして、何がしたいか、何に喜びを感じるかを考えましょう。
手術前なら、後遺症の小さい治療法を選択できるよう医師とよく話しましょう。
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■治療経過その1(〜2002.4)
●1999.9
舌が痛くて話す・食べることに支障がでてきたので病院へ。
すぐに検査入院となり、ガンの告知を受けました。
実は1年以上前から、変だなと感じていたのだが無視していた。
すぐ手術を、とのことだったが
ガン関連の本を読んだり、知人の話を聞いたりして、
自然治癒しないものかと、
中医学の先生の指示のもと食事療法等を行ったものの
それらしい効果は得られなかった。
とはいえ、現代医学(西洋医学)でガンと診断される状態に
自然治癒するものがあるのは確かなように思う。
●1999.12
病院の対応が気に入らず、自分で転院。
先生の応対が全然違う。治療方法も大分異なる。
(この辺りは情報も少なく運任せしかないかも)
数日後から放射線治療(予備的なもの)を開始。数日おきに通院。
2週間ぐらいで味覚異常発生。甘味だけがなくなった。不思議な感覚。
放射線火傷により口の中がひりひりする。
(2001.2退院後しばらくでどちらも直った)
自分はだるさがあったかなという程度でしたが、
放射線治療で頭痛が出たり、気持ち悪くなることもあるそうです。
●2000.1
3週間入院(予定通り)。放射線治療の本番。
舌に放射線を出す針を差込み、1週間、隔離された部屋で飲まず食わずの生活。
太い針を10本も刺したままの生活。慣れるまで2日間ぐらいは地獄のようだった。
針を抜いてからはやわらかいもののみの病院食。
初日は舌がはれ上がっていて食べられなかったが
2日目からは食べられるようになった。
もちろん強い痛み止めをずっと服用していた。
このとき激やせして、体力もなくふらふらだった。
退院後は、
1,2週毎に通院。CT,超音波,血液の検査を時々受ける。
特に食事の注意はなく、いくら食べてもいいとのことだったので、
菓子パンなどをバクバク食べていたら、3週間たらずで15kgも太ってしまった。
(この糖分の取り過ぎがリンパ節のガン細胞の栄養源になった可能性大)
●2000.3
CT,超音波,触診で共にリンパ節のガンが確認され、
すぐ入院、手術となった。
13時間の手術。成功らしい。
だが、術後は悲惨だった。自分の気持ちとしては手術は失敗。
頬がすごくはれ、誰かに首を締め付けられているような感じ。
さらに首と肩が動かせない。
1日、寝たきり。
2日目は起き上がり方を学び、一応、普通の生活ができるようになる。
1週間程で手術個所の内部での出血が収まる。
頬のすごいはれは引いていないが、
首と肩は不自然さがあるものの少しは動くようになってきた。
数日後に退院。入院期間は15日。
(短すぎて入院後通院の保険金が出ないではないか)
蛇足ながら、中医学の先生は9月の時点でこの首の個所を指摘していた。
何の機械もなしに。
目で見ているだけでぼやっと見え(感じ)、
手で触ると気の流れが乱れているのを感じるそうである。すごい能力。
●2000.4
自宅療養生活。
頬のはれで顔が歪んでいて、知り合いには見せたくなかった。
歩いたり、自転車に乗ったりして、少しずつ体力作り。
ある程度、体力に自身がついた所で、自転車での本州横断一人旅にでる。
入院中に読んだ本をきっかけにやってみたくなったのである。
家族は心配だったろうが、自分にとっては多いにプラスだった。
首と肩の可動範囲が大幅に広がった。
●2000.5
連休末に知人数名がお見舞いに来てくれた。
顔を見られたくない思いはあったが、やはりうれしい。
自転車旅の話には皆ビックリしていた。
まだ頬のはれが気になっていたが、連休明けから出社。
まあ、仕事は一通り引き継いでいたので質問応対以外は特別することはないが。
少しずつ仕事が戻ってくる。
問題は集中力がなく、疲れやすいこと。
生き甲斐について、たっぷり考える時間があったので、
仕事観が揺らいでいるせいもあるが、とにかく集中が長続きしない。
しっかり寝ていても眠くなるなど、体力的な問題もある。
バスケットボールをやってみたところ、右肩が上がらず、
シュートがまともに打てないのは分かっていたが、
ドリブルも突けないとは。
後、瞬発力がなくなった。飛べない。ダッシュできない。
●2000.6
放射線治療から半年、しばらくしてから出てくる放射線の後遺症が出た。
出ないことを願っていたのだが。
口の中の肉が溶け、顎の骨が露出。
この骨がザラザラしていて、舌に傷ができひりひりして痛い。
話す、食べるに影響あり。手術前に戻ったようで辛い。
この骨は表面付近が腐っていて、正常な骨と分離すると肉がまたかぶり直る。
ただ、分離するまで早くても1年かかるそうである。
●2000.7〜2000.9
腐った骨は少しずつ剥がれ、表面のザラザラは日々変わるので、
痛みもひどい時もあれば、落ち着いているときもある。
3週ごとの通院で骨をむしり取ったり、削ったりし、様子をみる。
舌への塗り薬ももらっている。
とにかく痛みを伴うのが辛いところ。
肩と首については可動範囲が広がり、皮膚感覚等も違和感が小さくなってきた。
が、肩はとても重いし、首の締付け間も残る。
このころが一番、精神的にきつく、死んでしまいたいとよく考えた。
折角、治療し、手術も成功して、生き延びたというのに。
●2000.10〜2001.9
首の締め付け感が和らぎ、肩の可動範囲がかなり広がる。
瞬発力もそれなりに戻ってきた。
ジョギングのような持久力はあまり落ちなかったので、
手術前のマラソン自己記録更新を目指して、練習に没頭することに決めた。
このころから死にたいと思うことは無くなった。
現実逃避と言えなくもないが没頭することはいい逃げ道になると思う。
●2001.10
放射線治療のときと同じような口内炎が
ほうの内側や唇の裏側に発生。ヒリヒリして痛い。
もうすぐ2年になるのに。
このようなケースは珍しいらしい。
●2002.2
CTで疑問点あり。超音波検査を約2年ぶりに受ける。
問題なしとのことで事なきを得る。
まあ、今は自然任せ。全く不安はない。
●2002.4 現在
今も口の中と舌の痛みはあり、首、肩の違和感や動きの不自然さもある。
が、生きていることに感謝し、一日一日を大切に生きていきたい。
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■治療経過その2(2002.4〜2003.3)
不定期で追加していきます。気が向いたら整理するつもり。
●2002.5.17
口の中が落ち着いているものの、
顎の下を中心に歯、耳の辺りまでに強い傷みが出ている。
発狂しそうなほど痛いときもあり、久しぶりに痛み止めを飲んだ。
医者に話したら、一応CTを取ることに。
●2002.5.28
2週間ほど顎がはれた感じでとても苦しかった。
顎から膿が大量に出て痛みから開放された。
原因不明だが膿が溜まって、神経を圧迫していたのであった。
去年の2月に耳たぶの下に膿が溜まり、医者で切ってもらったことがあり、
あの時と同じだったのだな。
ただ、そのときは全く痛みがなかったので書いていませんでした。
相変わらず舌の痛みはあるが、
気が狂いそうな痛みから開放され、清々しい気分である。
●2002.6.5
清々しかったのは1日だけ。突っ張りはなくなったのだが、
顎、唇、歯、頬、耳がずきずき痛むときがある。
膿もずっと出続けている。
医者に行ったら、放射線性骨髄炎(腐った骨)の影響で炎症を起こしているとのこと。
抗生物質を処方された。
●2002.7.11
薬を一週間飲んでも変化なし。
次の通院(現在1週置き)では薬の処方はなくなった。
これはうれしいが慢性化してるので長引くでしょうとのこと。
いまだに膿は出続けている。
まあ、顎の痛みがほとんどなくなってきたことを喜ばなきゃね。
バスケ中に人の肩があたったときは滅茶苦茶痛かった。
顎の代わりといってはなんだが、舌にまた傷ができてヒリヒリしている。
腐った骨が分離して肉が被るまで、早くても1年と言われて、もうすぐ2年。
痛みのない平和な日は何時訪れるのだろうか…
経過からそれますが、
久しぶり(2年半ぐらい?)に癌関連のネットサーフィンをしました。
前は放射線治療の後遺症と東洋医学について調べたんだったかな?
今回は舌癌や口腔癌の闘病記を中心に見ました。
読み出すと「やめられない、とまらない」のかっぱ海老せん状態。
(あっ、今は変わってるな)
骨髄炎の事例は見ていないが、今後の回復具合が見えてきた。
やっぱりなといった程度ですが。
放射線治療の後遺症が自分の予想より辛いものだったが(まだ現在進行形だけど)
外科手術で舌を切った場合の舌と喉の機能低下よりよかったように思う。
(というか自分で選択したのだから信じたいかな)
ちなみに自分の場合、手術では三分のニを切り取るとのことで
真中の味覚(何だったかな?)は無くなる可能性ありでした。
結論はないけど、このあたりの話は数年後に述べたいですね。
●2002.7.17
ついに口の中の腐った骨(フコツと言う)がぼろっと取れた。
いつものようにピンセットでむしるといつもと同程度の力が骨に伝わる。
いつもはちょっと剥れる程度だが、今日はメリメリっと音がした。
そして、悲鳴がフロア内をこだまする。
いや〜、痛いの何の。麻酔を3箇所して、治療再開。
麻酔後は痛みなくすんなり。
血染めの骨は予想より遥かに大きく、ちょっとビックリ。
長さ20mm。幅6mmぐらい。厚さ3mmぐらい。
ちなみに見えていた部分は長さ15mm、幅3mm程度だった。
今(4時間後)は肉が被っているようにしか見えない。
今は親知らずを抜いたようなヒリヒリした痛みがあるが、
約2年間の舌の痛みから開放されるかと思うとウキウキわくわく、
嬉しくてたまりません。
●2002.7.31
舌の奥の方が相変わらず痛いと思っていたら腐った骨はまだ残っていた。
まだしっかり引っ付いている。そのうち取れるだろうと言われたが、
早くすっきりしたいものである。
●2002.10.10
2ヶ月以上空いたが変化がなかったもので。
昨日、病院にいったら、また大きな腐骨が取れた。
今回は麻酔なしで簡単に取れた。もちろんそれなりに痛かったけど。
今回は楕円錘形。長さ25mm。楕円の直径、長い方7mm、短い方4mmぐらい。
舌がすごく楽になった。
相変わらず膿は出続けているがもうすぐ止まるのかもしれない。
このまま落ち着いてくれることを願うばかり。
●2002.10.22
顎から出ていた膿がついに止まった。
20日の24時間リレー終了後に傷口を爪で引っかいていたら、いつもより硬い引っかかりがあり、
つまんで引っ張ると腐骨の塊が出てきた。ちょっとビックリ。
痛みはたいしたことなかったが、数分間出血が止まらなかった。
歪な形だったので大きさを伝えにくいが、15mm*10mm*2mmの箱に収まる程度の大きさ。結構大きい。
出血が止まってから膿の量が少ないなと思っていたら、晩にはほぼ止まっていた。
顎のしびれと頬の突っ張り感も無くなったようだ。
だいぶ楽になった。
対した痛みではないと思っていたが無くなるとずいぶんすっきりするものであるな。
腐骨が全部取れたのかは分からないが、
残るは舌の傷の痛みと肩・首の鈍重感。
とはいえ肩の筋肉はかなりついてきた。もう少しで走りに影響しないぐらいになりそうだ。
●2002.11.14
2週間ほど平和だったがまた舌が痛くなってきた。顎のしびれも戻ってきた。
口内にまたまた腐骨が顔を出す。早く腐骨がなくなるとうれしいのだが…
●2002.12.16
ここ一月、ちょっと痛い程度で安定している。
今の骨の露出は腐骨ではなく正常な骨だそうだ。
あとはここに粘膜が被るのを待つだけ。もう少しの我慢だ。
今年の締めくくりとして、後遺症の気になる点をまとめておこう。
どれもほとんど日常生活に支障のないものばかりですが…
・顎のしびれ … Run中によく痛む
・頬の引きつり … 大笑いすると痛い
・肩、首、頬の違和感 … 小さくなったが常時いや〜な感じ
・肩が上がらない … バスケには大問題。Swim,Run,生活にも問題
・首の筋力不足
・舌の動きが不自由(患部の皮膚が伸びないため)
・舌が痛くて発声しにくい … これは仕事上、問題あり
・舌が痛くて食べにくい … ゆっくり食べれば大丈夫
・舌が痛くて辛いもの、熱いものが強烈にしみる
・舌が痛くて舌っ足らずな話し方 … ちょっと恥ずかしい
そろそろ、まとめる時期かな…骨による舌の傷がなくなってからやるか。
●2003.1.14
最近、自然に右側でも噛んでるなと思ったら、骨に粘膜が被ているとのこと。
ただ風邪の影響なのか口の中が荒れていると言われた。
今は放射線火傷のときのように頬の裏と舌がヒリヒリし痛い。
この荒れが直ったとして、どれぐらい痛みが残るのかな〜。
ここ2年、冬になると右肩の上の皮膚が黒ずんでガサガサになっていたが今年はちょっとザラザラする程度。
手術後の皮膚の正常化が進んできたようだ。
●2003.2.4
3週間程で風邪が直り、口の荒れも直った。
が、頬の裏は熱いものが妙にしみる。舌は針でチクチクさしたような痛みがあり話しにくい。
冬はこうなっちゃうのかな?昨年も痛かったし。
熱いものがしみるのは冷ませばよいが話しにくいのは辛いな〜。
ついでに肩と首の鈍痛も辛いな〜。
遺伝子研究で筋肉再生はできるようになるのだろうか。
歯が何度でも生えてくるってのはテレビでやってたけど。
ある種の鮫は何回でも生えかわるそうですし、動物実験でも成功したと言っていた。
筋肉は期待薄だけど歯の方は期待してます。
●2003.2.24
2/12に通院し、次回から2ヶ月毎の通院となった。
頬裏と舌の痛みは相変わらず。もう慣れたけど。首の皮膚感覚はだいぶ普通になってきた。
首の締付け感はかなり無くなった。でも違和感はあるし…
肩、首、頬の筋肉が何とかならないかな〜。あくびや大笑いでも頬が引きつって痛いのであった。
まあ、このへんは時間が解決してくれることでしょう。
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■治療経過その3(2003.4〜)
そろそろ整理しないとね。とは思うけど…
●2003.4.24
リンパ節の手術から3年経過。
先週、2ヶ月ぶりに通院。3割負担で支払いが多くなった以外特に変化なし。
腐骨が取れたところは肉で覆われ舌の痛みが消えた。
と言いたいところですが歯にあたるところが結構痛い。
頬の引き攣り感、右肩から頬までの鈍痛は相変わらずである。
とにかく腐骨が取れてとても楽になったのは確か。
痛みが引くのをゆっくり待つのもよかろう。
●2003.5.7
ふと気がつきました。何時の間にか左だけで噛まなくなっていた。
やはり骨の露出がなくなったのは大きいのだな。
●2003.6.3
5/18に風邪を引いき、風邪は治ったが微熱が続く。
頭痛もあり、だるくて力も入らない。息苦しくなることもある。
テニスをしたり、ボッカ駅伝を走ったりしてはいるが体調最悪。
昨日、病院で検査したが原因不明。
軽い貧血ではあるものの、こんな状態にはならないと言われる。
予定では、鉄分が不足していますねと鉄剤が処方されて終わりのつもりだったのに。
骨髄を取って調べる検査の予約をしてきたがあまりやりたくない。
しばらく先なのでそれまでに症状が消えたらやらないつもりだ。
とにかく、今のままでは困る。
(6/14のカモシカマラソン、元気なときでも完走できるか分からないのに…)
元気のない今の状態を何とかしたくて、病院へいったのに、原因不明なので処置なし。
更に「血液生成の異常(骨のガン)、腸内の出血(大腸ガン等)が考えられる」との診察。
精神的に追い討ちを掛けて、病状を悪化させる例のようだ。
まあ、医者に頼ろうなんて思ってないからいいけど。
しかし、5000円も取られて、何もなしってのはどういうこと?
仕事のストレスが原因ではないか?と考えて、しばらく自宅療養することに決めた。
同僚には申し訳ないが私の分までがんばってくれ。
それにしても、寝てばかりで腰が痛い。
●2003.6.26
骨髄と骨を調べる検査を受けてきた。
部分麻酔をして、腰の後ろに直径1ミリほどの注射を2回。
それなりに痛みを伴うが無事、検査終了。
結果がでるのは1ヵ月後。骨を溶かして調べるので時間が掛るそうだ。
しんどいのに病院に行き、何とかしてほしいのに何もしてもらえない。
したくもない検査をして、検査料18990円も取られるとはちょっと腹立たしい。
まあ、拒否もできたけど物は試しと思ってやってみた訳だが。
どうせ何も分からないのだろうけど。
微熱は続くが頭痛は軽くなった。
新たに腰の痛みが加わった。これは対した事ないけど。
この間、中医学の先生に診てもらった。
強い邪気が出ていて、先生の方が参ってしまうので治療できないと言われた。
(治療と言わないんでしたっけ?医療の法律は気にせず治療と書きます)
最近、地震が多く、電磁場が乱れている。
ここに来るガンの患者さんは昨年の3月頃から調子を崩している人が多いとの事。
温灸を足三里と肘のところ(名前は忘れた)にして、邪気が弱まるのを持つことに。
これを始めてから頭痛が軽くなった。(フラシーボ効果?)
温灸を購入したものの先生の診療報酬はなしなので申し訳ない感じ。
内気を高める方が自分で病気に立ち向かっているようで精神的にも救われる。
訳の分からん検査に健康保険が44310円も出すより、
鍼灸治療に保険適用してくれたらいいのに。
まあ適用範囲が定めにくいからやっていないのは分かっていますが。
●2003.8.7
骨髄と骨の検査結果は異常なし。やはり予想通り。
ちょっと調べたところ、微熱の4割は原因不明なのだそうだ。ここらが現代医学の限界ですかね。
頭痛、フラフラ、息苦しさでとてもつらい。微熱のため寝付きも悪い。
6月、7月は殆ど仕事を休む。考えられないから仕事にならない。
休みの殆どを寝て過ごす。やる気が出ず、うつ状態。精神的にもきつい。
のんびり休めのサインなのかな?
鍼灸院の先生には診れる様になるのに1ヶ月かもしれないし、3年かもしれないと言われている。
3年もこの状態だったらどうしよう…(最近、温灸をかなりサボってるし)
まあ、なるようになれで、しばらくのんびり生活を楽しむとしますか。楽しい未来を夢見ながら。
おっと、後遺症の経過を何も書いていなかった。口の中は落ち着いています。
舌の痛みが治まっているので話もスムーズにできるようです。
●2003.10.15
8月26日より休職。ものは試しに秋田の玉川温泉へ湯治に行くことにしました。
9月1日から9月22日までの秋田旅行。湯治は9月2日から9月20日まで。キャンプ道具を持って車で。
湯治3日目には頭がすっきりしていた。5日目には自然に体操したりしていた。
私にはとても効果がありました。
ただ舌の痛み、肩の痛みは変化なく、こちらは残念。
あと、癌治療中の人、治療後の予防に来ている人が多数いました。
湯治や食事療法をやっている人に一言。
☆これは効くと信じることが大切です。
●2003.11.17
玉川温泉での湯治中の様子を日記に書きました。こちらをご覧下さい。
九州旅行で病院予約を初めてすっぽかしてしまいました。
頭痛がすっかり治まったので予定通り、12月1日より社会復帰します。
明後日、治りましたという診断書を書いてもらいに病院に行きます。
旅から帰ってからだるさが少しあるけれど。
後遺症の方は、また舌と口内が荒れてヒリヒリ痛くなっている。
肩、首は相変わらず重い感じ。
休職中に考えるはずだった今後の身の振り方は
全然考えぬまま、休職期間の3ヶ月が過ぎようとしている。
もう一度、しっかり仕事に取り組んでみようと思う。
慢性疲労症候群という病気を本で見つけた。
自分がこれに相当するか微妙なところだが判断基準のボーダーラインにはいたように思う。
その後、タイミングよくテレビでこの病気を取り上げているのをみた。
患者が数人紹介されており、一人で暮らせない状態の人もいた。
患者の苦悩とやるせなさが伝わってきた。治療法はまだ確立されていない。
私が思うに、何の病気でも一緒だが、現状を受け入れた上で、楽しみを見い出しながら生きていくしかないのである。
●2004.2.15
最近、精神面が滅入ってて、病院行っても更新せぬまま。
ここのとこ、咳がひどい。これと関係あるか分からないが舌がとっても痛い。
冬に痛くなる傾向ってあったかな?
右肩の皮膚がカサカサになっていたのがこの冬は全くなっていない。
皮膚は完全回復したようだ。
温度感覚がない部分は相変わらずないままだけど。
さて、運動不足から、右肩の筋力がすっかり落ちてしまった。
1月からリハビリを始め、順調に回復している。
昨年の状態まではあと半年ぐらいはかかるかな。地道にやるしかない。
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■治療経過その4(2004.4〜)
最後の手術から丸4年が過ぎました。パチパチパチパチ〜。
●2004.5.24
何時の間にかリハビリは忘れ去っていたな。まあ日常生活には支障ないので。
さて、2月下旬から4月上旬まで体調を崩していました。精神的な問題だったみたい。今は治ったような気がする。
その影響か舌や頬の裏が荒れてヒリヒリ痛かった。
今はある程度落ち着いたものの、舌や頬の裏のヒリヒリは一生もののようです。
あと、顎間接の引っ掛かりが最近ひどい。昔からあったので特に気にしていません。
奥歯がないから仕方ないのかな。口の空き具合は変化ないのだが。
4年も経つと再発の恐怖なんてすっかりないし、後遺症の状態の変化もほぼ無くなってしまい、
このページに書き足していく意味がなくなってきた感じ。
まあ、経過観察が終わる(本当に終わるのかな?)5年経過まで後数回更新しようと思います。
●2004.10.24
首切り手術から4年半経過。特に変化はないですが現状報告しておきます。
◆舌
上唇が多少なめられるようになった(がんばると痛いですが)。下唇はぎりぎりとどくぐらい。
口の中では殆ど不自由なく動く。が、患部が伸びないので引き攣って少し痛い。
辛いものはしみる。特にこの痛みのある辺りが。
唐辛子のヒリヒリはしばらく消えない。以後の食事は水を大量に飲みながらとなる。
ワサビも強くしみるときがあるが一時的ですぐ消える。
カレーは甘口なら大丈夫。中辛は途中から一口食べては水を飲むようになる。
美味しいのだが痛くてつらい状態となる。ラーメンやうどんでも同じ。やはり痛いのは避けたい。
◆顎の骨
放射線で腐って取れた部分、手術で削った部分は凹みや段差がある。
まあ皮膚が被っているので見た目は気にならない。触ると多少違和感がある。
◆首
手の平2枚分ぐらいの筋肉が無くなっているので見た目がへんなのは気になる。
左右の筋肉バランスが狂っているので頭を真直ぐにするには力が必要。普段は少し傾いている。
左右同程度に動かせるが、動かすときに何となく痛みがある。動かす向きによっては嫌な感じがする。
この感じを避けるため、以前は首だけ動かしていたところを上体から動かすようになった。
◆肩
昨年の体調不良による運動不足生活で右肩の筋力すっかり落ちてしまった。
6月からの自転車漕ぎでも殆ど鍛えられていなかったが、最近始めた腕立てで少しずつ改善してきた。
ランニングの腕振り、バスケやバドミントンでスムーズに腕を動かすのにとても重要な筋肉である。
動かすときに鈍痛がする。これは多分脳での動かす指示と実際の動きがズレるとき、
もしくはズレを修正するために本来と違う動きをするときに鈍い痛みのように感じるのだと思う。
◆その他
頬裏が荒れて舌と同様にしみていたのは消えた。
最近、少々体がだるい。昨日の新潟県中越地震の影響だろうか?
◆補足、地震の人体への影響
中医学や気功、漢方について、聞いた話や本を読んで以下のように考えています。
地震で地磁気が乱れる。磁気は人体にも影響する。
乱れた磁気を解消するようになっているがその機能がストレスやら体質やらで低下して、病気になる(らしい)。
この磁気がプラスなのかマイナスなのかによって、体が熱くなったり、寒くなったりする(らしい)。
磁気イコール気ではないらしいが、ニアリーイコールだろうと思っている。
全然まとまってないけど補足終わり。
●2005.3.31
5年経過。手術からちょうど5年となる3/23に通院してきた。状態は前回(04.10.24)書いたのと殆ど変化なし。
通院に関しても変化なし。次回も3ヵ月後。10年間経過をみるそうだ。
まあ、5年生存をクリア。状態の変化もないのでこのページの更新は今回で終了とします。
気が向いたら、ざっとした経過が分かるページや入院中の経過をまとめるかも。
最後に2002.12.16に書いた状態が現在どうなったのか書いておこう。
・顎のしびれ … Run中によく痛む → 痛まない
・頬の引きつり … 大笑いすると痛い → 痛まない
・肩、首、頬の違和感 … 小さくなったが常時いや〜な感じ → 常時ではないが少しでも動かすと感じる
・肩が上がらない … バスケには大問題。Swim,Run,生活にも問題 → 変化なし。頑張ればある程度動きます
・首の筋力不足 → 殆ど感じない
・舌の動きが不自由(患部の皮膚が伸びないため) → 稼動範囲は広がったがかなり不自由
・舌が痛くて発声しにくい … これは仕事上、問題あり → 会話を聞き返されることが多々ある。痛みには慣れました
・舌が痛くて食べにくい … ゆっくり食べれば大丈夫 → 殆ど痛むことはなくなった
・舌が痛くて辛いもの、熱いものが強烈にしみる → 大分よくなってきている
・舌が痛くて舌っ足らずな話し方 … ちょっと恥ずかしい → ある程度改善した
全体的に症状は軽くなっている。不自由なかったときに戻れるとは思っていない。
現状を受け入れ、生活していくだけですね。明るく、楽しく、元気よく生きていけたら嬉しいな。
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2002.04.24